1999.09

第4回定例会で尾関さんが行った一般質問は次の通りです.ながいので,ファイルをダウンロードする事をお薦めします.

みだしは「おぜき栄子の広場」編集局でつけました.

国旗・国歌について介護保険について国立療養所足利病院について議会報告トップページにもどる


平成11年 第4回市議会 定例会  一般質問  4番 尾関 栄子 

日本共産党を代表して、通告に従い質問させていただきます。市長の明解な答弁をもとめます。質問も重複することもあるとは思いますが、ご了承下さい。

市長に三項目についてお尋ねいたします.

まず,国旗・国歌についておうかがい致します. 日本共産党は国旗・国歌の問題を、とてもだいじな問題だと考えています。日本では、「私たちの国を代表する国旗・国歌は、どんなものがふさわしいか」を国民のあいだで議論したことが一度もありません。明治時代に政府が勝手に「日本の国旗は日の丸、国歌は君が代」としました。

このことが、第2次世界大戦が終わり、憲法が「国民主権」に大もとから変わった今も、戦前のまま引き継がれています。私たち日本共産党は,国旗・国歌はだいじな問題ですから、問答無用の押し付けではなく、国民みんなで議論をつくし、そのうえで国としてきちんときめること(法制化)を提唱しました。

ところが、「日の丸・君が代」を国旗・国歌とする法案が、8月9日、国民の大きな反対を押し切って、自民、自由、公明の3党と民主党の一部の議員によって賛成多数で強行成立しました。国民の思想・信条の自由、教育と民主主義の根本にかかわる重要な法案を、衆・参あわせてわずか28時間の短い審議で、数をたのんで成立させた暴挙に、国民の大多数は怒りを感じています。
政府が法制化の最大の根拠とした「日の丸・君が代は国旗・国歌として定着している」との言い分も、国会の論戦を通じて「定着していないから法制化するのだ」と、もろくもくずれました。

さらに「君が代」を「天皇の国」とする政府の解釈は、国民主権をうたう日本国憲法とも相いれないものです。「日の丸」は先の侵略戦争の旗印として使われ、いまなおアジアの人々にいまわしい記憶を残しています。
このように審議すればするほど矛盾がひろがっています。

各種世論調査でも法制化反対が急速に増え、ある女性団体が全国でおこなった緊急アンケートでも76.5%の人達が「今の国会にこだわらず議論をつくすべき」と回答。
また、マスコミもこぞって「なぜいますぐ決めなければならないのか」と批判を強めていました。

「日の丸・君が代」についてさまざまな見方や考え方があり、どんな国旗や国歌がいいのか、国民みんなが時間をかけて十分な討論をし、決めていくことこそが大切です。今回の一方的法制化は、日本の歴史が、始まっていらい初めて国民が参加しておこなわれている討論に、なんら耳を傾けず、背をむけたものでした。           

このようななかで憲法の基本的原則である市民1人ひとりの内心の自由を守り、子どもの権利条約の意見表明権を保障するため、地域や市の式典、学校教日現場など、あらゆる場への「日の丸・君が代」を強制してはならないと考えますが、市長の明解な答弁を求めます。

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つぎに、介護保険についてお尋ねします。

介護の問題は、深刻さを増しています。
いま年間10万人ぐらいの方が、女性を中心に、介護のために職場をやめざるをえません。(’97年度、栃木県では3000人)
介護者の4割以上が65歳以上で、高齢者が高齢者を支える“老老介護”など“介護地獄”といわれる事態になっています。

つい最近でも、朝日新聞や下野新聞に介護に疲れて無理心中したり、お年寄りを残して自ら命を断つ悲惨な記事が報道されました。

長寿を喜べない社会でよいのでしょうか。
私たち日本共産党は、このような介護地獄ともいうべき状況をふまえて一貫して現状の福祉制度を守りながら、介護保険制度との結合をはかり、希望するすべてのひとたちが介護を安心して受けられるよう国がもっと責任を果すように介護問題に取り組んできました。

しかし現状はどうでしょうか。介護保険の実施まで、あと7ケ月に迫りました。
10月から認定審査作業がはじまります。本市も地区毎に説明会が行なわれ、改めて不安の声が広がっています。
65歳以上の方が支払う基準額が、1ケ月2,670円と6月議会で試算されました。

高すぎる保険料の問題、そして保険料を払っても実際の介護サービスが受けられないのではないかという懸念が、現実のものとなりつつあるからです。
また、苦労して保険料を払っても、介護サービスを受けるには、さらに三つの問題があります。

一つは介護の基盤整備の遅れで、十分なサービスが提供されないこと。
二つ目は要介護認定により「介護の必要なし」と、介護保険の適用から締め出される危険があること。
三つ目は利用料負担が重過ぎ、介護保険のサービスを受けられない人が続出するのではないかということです。

これは、政府が安心できる介護を実現するという国民的大事業にふさわしく国の負担、責任をどう果たすかに心を注がなくてはならないのに、いかに財政負担の軽減をはかるかという立場から保険化を強行したからです。
実際、介護保険の導入で、来年度、国と自治体合わせて4500億円もの公的負担を減らすというのですから矛盾が生じるのは当然です。

先日、日本共産党の国会議員団の同行を受け、介護保険などについて厚生省交渉を行ない、基盤整備、保険料や利用料などの財政措置を行なうように要望致しました。この不況のなかで老後が安心して生活できるのか、住み良い足利市になれるのかが、問われてくると思います。そのために第一に市及び社会福祉協議会が、事業所としての認定を受けて積極的に介護保険充実のために自治体として市民の命と健康、くらしを守る立場に立つべきです。

第2に現在の足利市の施設介護及び在宅介護を絶対に後退させず、より充実させ前進させるために介護保険制度の準備をすすめて頂きたいと思います。
そのような立場で、現在の準備状況の到達点及び足利市の介護保険策定懇談会での介護保険事業計画と基盤整備(在宅及び施設)はどうなるのかをお尋ね致します。

まず、保険料の問題です。

老齢年金をもらっているお年寄りの大半が国民年金の受給者であり、その受取額は平均で47000円程度に過ぎません。夫婦で月に約5,400円、年間約65,000円にもなる保険料を国保税に加えて、こんな重い負担に耐えられるのでしょうか。

第1段階の対象者は月額3万円余の老齢福祉年金で暮らしている人達ですが、この方たちからも月に1,350円が年金から天引きされる過酷なものです。
その上サービスを受けるときには一割の利用料が必要なのですから、払えるはずがありません。

介護が必要でも利用料が払えないために振り落としてしまうことのないよう、現在示されている減免制度(災害にあった時、世帯主が死亡した時)だけでなく「住民税非課税の高齢者への無料を含む思いきった措置」がどうしても必要だと思いますが、市長のご所見をお伺い致します。

また、要介護認定の2次判定では審査会の民主的運営とともに、ひとりの審査にかける時間が十分保証されるのでしょうか。
認定審査会では、国の言いなりではなく家庭環境などを考慮した実態に即した審査がおこなわれるべきと考えますが如何でしょうか。

次に、介護サービスについてお伺い致します。

一つ目に在宅、施設サービスは十分整っているのでしょうか。

二つ目に現在、受けているサービスを今後も引き続き受けられるのでしょうか。「自立」とされた場合でも引き続きサービスが受けられるような福祉制度をのこして頂きたいと思います。

三つ目に介護保険の対象外になってしまう人への対策はどのように考えておられるのでしょうか。

四つ目に紙おむつ、介護激励金など、保険料の上積みでなく、一般財源から措置できるようにして頂きたいと思います。

五つ目に配食サービスについてですが、在宅介護支援で重要な配食サービスが介護保険に定義されていないのは疑問です。
配食サービスの体制についても併せて是非早急にご検討項きたいと思いますがご答弁をお願い致します。

次に、市で委託してきた特養ホーム、デイサービスなどについて、介護保険導入後の経営は円滑にいくのでしょうか。
市内のある施設では、今年の4月から、事業費委託方式から出来高払い方式に変更され、他に収入は施設長の人件費のみであり、この方式に変わってから経営が大変になった。
更に人件費も今年で打ち切りになり、来年から経営が成り立つかと心配しています。
また、策定懇談会の内容、サービス内容、調査項目など情報公開をどのように進めていかれるのでしょうか。
お伺い致します。

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つぎに、国立療養所足利病院についてお尋ねいたします。

国立足利病院は、戦前の昭和13年11月に県立結核療養所松寿園として始まりました。
翌昭和14年9月結核患者260名収容、
昭和18年4月 日本医療団に移管、さらに
昭和22年4月 厚生省に移管し国立療養所松寿園として発足、
昭和26年4月 国立足利療養所と名称を変更。
昭和42年2月 重度心身障害児施設開設、
昭和48年4月には 県立養護学校を併設、小児慢性疾患病棟開設、
昭和49年4月 国立療養所足利病院と名称変更、
昭和51年4月 重度心身障害児院内学級が始まり、
昭和52年12月 療育訓練棟も建設されました。
昭和57年 重症心身障害児(者)の成人化対策第2訓練棟の整備、
昭和58年からは 一般内科医療も開始されました。
昭和60年代に入り、厚生省により「国立病院・療養所再編成・合理化の基本方針」を策定、国が行なうべき分野として「政策医療」が示され、足利病院では、重症心身障害医療、小児慢性疾患医療、結核の従来からの分野に加えて神経難病医療に取り組む方針がたてられ現在に至っています。

入院べット数は、重度心身障害120床、結核40床、一般及び神経難病55床で合計215床です。
内科、小児科、整形外科外来診療担当。1日平均外来患者数70人前後で、重症心身障害児(者)や神経難病など特殊な疾病が多い。
この神経難病外来及び病棟は、県南では唯一の施設です。この神経難病で入院中の方は、人口呼吸器を取り付けたり、気管切開をして酸素療法を行なったりなど、自宅療養や外泊もできない重症の方もいます。
外来でこのような特殊な病気で食べることが出来にくい患者(経管栄養)を摂食訓練(保育士、栄養士、医師、看護婦など担当)を行なうことにより嚇下が少しずつ出来るようになったりなど、よりきめの細かい指導をしている。
さらに県立養護学校では、この4月から小中学部から、高等部まで広げられました。重症心身障害児(者)の高齢化などで、身寄りのない患者も増えています。この身寄りのない患者の買い物など日常生活に必要なことを看護婦などの職員が行なっております。

このように国立療養所足利病院は、戦前から結核治療を行ない多くの患者を救ってきました。
また、重度の心身の障害をもつ子供達の医療に責任を持ってきました。
そして、病気のために学校へ通えない子供達のために病院の隣に養護学校も建てられ、治療をしながら、学べる環境を整えて来ました。一般内科医療や整形外科医療の中で、訓練棟を利用し積極的に機能訓練を行なって来ました。
神経難病という特殊な病気の治療にも責任をもって対応しています。
70年以上足利市、地元大河田地区および両毛医療圏の医療に大きく貢献してきました。

このような時期に厚生省は経営移譲という方法で、廃止計画を出してきました。この問題は、すでに昭和58年に出され、議会から国へ反対の意見書が提出されています。国は、銀行や大企業に巨額の税金を投入し、国民の命にかかわる責任は投げ捨てるこのような行為を断じて許すことはできません。

先日、私は日本共産党の国会議員団の同行を受け、移譲計画と結核病棟”集約”などについて厚生省交渉を行ないました。
厚生省は、
地方自治体と連携を取りながら移譲計画をすすめる。
重症心身障害者及び一般医療も移譲し職員も移譲先に委ね、近隣の国立病院への転勤なども考える。
結核病棟の実質閉鎖に対しては、県内に1ケ所国立療養所東宇都宮病院に結核病棟を集中させると回答しました。

この7月26日厚生省自ら発表した「結核緊急事態宣言」にも逆行しています。さらに結核病棟は両毛医療圏のなかで、足利赤十字病院40床、国立療養所足利病院40床だけです。
今議会に「国立足利病院を存続し地域医療の充実を求める要望署名」8093名の署名が寄せられました。
幹事長会議の中でも全会派一致で国へ移譲反対の意見書を提出することがきまりました。

このようななかで市長にお尋ねします。

結核病棟が8月で、”集約”ということで実質閉鎖になり、足利市で結核治療に責任をもつ病院は、足利赤十字病院の40床のみとなりました。
今後どのような施策を考えているのか。
そして昭和58年以降厚生省からの働きかけはどうだったのか、
もしあるとしたらどういう態度をとってきたのか。
今年の3月厚生省からの働きかけがありどういう対応をされたのか。
国立足利病院の移譲計画に対してどう対応していくのか。
私は国民のいのちに係わる問題、特に結核や重症心身障害者医療、
神経難病などの困難な治療は国が責任を負うべきだと思います。
地方自治法第2条により、足利市民の責任を担う長として国に対して先頭に立って国に働きかけをするべきと考えますが、市長の明快な答弁を期待致します。

以上で,質問を終わります. 

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